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大阪家庭裁判所 昭和38年(家)2521号 審判

申立人 甲野一郎(仮名)

被相続人 亡乙野花子(仮名)

主文

被相続人亡乙野花子の相続財産のうち金四〇万円を申立人甲野一郎に分与する。

理由

本件申立理由の要旨は申立書に記載のとおりである。

よつて審案するに調査の結果によるとつぎの事実が認められる。

(一)  乙野花子と申立人との生活関係

申立人は、その父母と乙野春子同花子とが明治四〇年頃東区○○○△丁目○○番地で一軒置いて隣りに居住し近隣として親しく交際していたので、幼少のときから、乙野の家人に親しく接してきた。また申立人が同四二年四月○○小学校に入学したところ、その担任訓導が乙野花子(花子は○○女学校を卒えて師範の課程を修め、当時同校に小学訓導として勤務していた)であつたため、申立人と花子との関係は一層親密になつた。それに乙野家は、その頃母子二人暮しで、母春子が子ども相手の菓子店をしており、子どもにとつて出入りし易い家庭環境であつたので申立人は、学校からかえるといつも乙野の家へ出入りし、花子から「○ちやん」と呼ばれ、特に可愛がられてきた。

申立人が、大正六年三月東区の高等小学校を卒え、羅沙商○○商店に住込み店員として勤めるようになつて間もなく、同八年六月頃父松男が死亡し、母は○○○△丁目の家を引き払つて弟妹を連れ帰郷した。そのため申立人は丁稚奉公の休日に身を寄せる親戚とてないところから、勢い、長年親しく交際してきた花子宅へ寄せて休日を過ごすのを常とした。

花子は、母春子を大正九年に失い、昭和初年地下鉄御堂筋工事のため附近一帯と共に立退き、東区○○○丁目甲○○番地の家を買い取つてそこへ転居した。その頃申立人は壮年に達し、○○商店別家として東区内○町○丁目○○番地に一戸を構えていたが、折をみて花子を訪ね孤独を慰めまた相談にのるなどして交際をつづけていた。花子は昭和七年頃退職して後、その恩給と小学生の補習教授による収入とで生活し、二階を一番親しかつた従姉妹丙野夏子に貸していたが、夏子が同一二年頃死亡したとき、申立人は花子からの依頼で夏子の葬儀に尽力したこともあつた。

このような関係をつづけるうち今次大戦に入り、申立人は、○○○通○丁目で店舗を構え文房具商をしていたところ、二〇年三月一四日の空襲により居宅も店舗も丸焼けとなつたが、当時六〇才に近かつた花子の身の上を案じて○○の花子宅を訪ねた。花子宅は幸い罹災を免がれていた。花子は戦災で焼け出された申立人に同情を寄せると共に苛烈な戦局下に一人暮しの不安もあつて、申立人に同居して事実上の養子として生活するように懇請したが、申立人は、すでに家人を京都嵐山へ移していた関係上同居して生活することはできないのでこれを断つたが、商売のためにも老齢孤独の花子を慰めるためにも好都合なところから、花子の好意ある勧告に従い花子宅の表の一部三畳を借り受け、嵐山から通つてきて文房具等の販売をはじめた。

花子はその頃恩給等により細々と生活していたにかかわらず、申立人に家の一部を使わせながら、申立人とのこれまでの交際関係から家賃などを取ろうとしなかつた。そこで申立人は感謝の気持から家賃代りに折にふれて日常の物資や小遣銭などを贈つてきた。そのうち花子の住居も同年六月の空襲に会い、申立人らが消火に努めたが、蔵を全焼し居宅の部分を半焼した。申立人は、焼け出された花子のこの窮状を救いまた空襲の激化につれて危険の増す一人暮しの花子の身の安全を守るために、旧知の山田正男を花子方に同居させることとし、その代りに、山田をして花子のために蔵の焼跡にバラックを急造させ、そこに花子が居住できるよう配慮した。かくて花子とともに山田が花子宅の一部に居住し申立人もその一部を商用に使用するという状態が花子死亡までつづいた。

(二)  花子所有不動産売買に関する経緯

花子死亡一両年前から、花子の居住していた土地家屋について、株式会社○○工務店から○○商事上田一男を通じて買い取り方の申し入れがあつた。花子は高齢であつたので売買の交渉一切を事実上申立人に委ねた。申立人は、自己の業務もかなり多忙であつたが、気持よくこれを引き受け、花子と相談を重ねその意向を体して、上田らと折衝し、かくて同三一年二月一一日○○商事(後に○○工務店がその地位を引きついだ)と花子との間に上記土地家屋につき売買価額九九〇万円手附金三〇〇万円は契約成立と同時に、残金は同三一年四月一〇日所有権移転登記と同時に、それぞれ支払う旨の売買契約が締結された。

(三)  申立人が花子の療養看護および葬儀等につくした実情

花子は同三一年三月二〇日脳溢血で倒れた。花子と同居していた山田夫人からその知らせを受けて、申立人は直ちに花子の許に駈けつけ、川田明男はじめ縁故のある人々に花子の急病を伝え、急を聞いて集まつた川田はじめ下田昭男、大田良子らと今後の看病等につき相談し、結局平素花子と親密な関係にあつた申立人と川田とが看護に当ることになつた。花子は倒れた翌日頃から意識も混濁し大小便も失調する状態で、その病状は日増しに悪化していつた。申立人は、川田と協力し、大小便の始末に当つたこともあり、附添看護婦を指図して看護に尽力してきた。このように申立人は、親身になつて花子のため看護の世話をはじめ見舞客との応接医師との交渉その他家事万般の処理にも当つてきたものである。

しかし申立人らの看護の効もなく花子は同年四月一七日に死亡した。死亡後も申立人が中心となつて川田らと相談し、花子の縁故知人への通知寺方との交渉をはじめ葬儀に必要な一切の雑務を処理し、葬儀も学校関係の旧知ら縁故者約二〇〇名の参列を得て盛大に執り行つた。

(四)  相続財産管理の状況

ところで花子には法律上相続人がいなかつたので、上記○○工務店は上記契約履行の必要上、利害関係人として、昭和三二年五月一日当庁へ花子の遺産につき相続財産管理人選任の申立をなし、弁護士河島徳太郎同石黒淳平が同管理人に選任され、同年五月一五日管理人選任の公告がなされた。管理人両名は爾来正確に管理事務を遂行し同年八月一五日相続債権等申出の公告をなし、さらに同管理人の申出によつて当庁昭和三七年(家)第三七九四号事件として相続権主張の催告をなし、同三八年三月三〇日同期間が満了したが、相続人の申出はなかつた。

(五)  花子死亡後における申立人の行為

申立人は、同居者山田らの協力を得て花子の生前における医療費その他諸雑費や死亡後における葬儀費用通信費接待費等を立替え、また花子の遺産を事実上管理してきたが、上記相続財産管理人が選任されて後は直ちにこれを同人らに引きついだ。その後も数年にわたり申立人は、同管理人らに協力して債権の確定相続人の搜索にも当り、また花子の墓所の選定石碑の建立にも奔走し、管理人河島徳太郎の格別の配慮を得て、○○墓地に恰好な墓所を得たので同所に墓碑を建立し、その碑面に「故人花子の生涯の経歴を略記し、花子の霊の安らかに眠られることを祈りわれら縁あつて遺産の管理追善の世話をするものとしてこの墓を造る」旨を刻み、墓碑建立の由来を明らかにするとともに故人花子の徳を顕彰した。

(六)  申立人と相続財産との関係

申立人が、上記のように、花子の生前における医療費その他諸雑費のため、および死後における相続財産のために立替え支弁した費用については、相続財産管理人からの申入れに基づき、公正確実を期するため、他の相続債権者である不動産仲介者○○商事(代表取締役上田一男)と川田明男らと共に民事訴訟を提起した(大阪地裁昭和三三年(ワ)第三一一八号)。裁判の結果、○○については上記売買の手数料および報酬として金一一九万円、川田については貸金弁済等として金三〇〇万円、申立人については立替金等の償還金として四二万五、六六八円が確定し、相続財産からそれぞれその支払いがなされた。因みに申立人に対する上記償還金のうち金一〇万円は、申立人が花子の葬儀法要または相続財産に関する管理事務等に従事した期間即ち昭和三二年四月一八日から一〇〇箇日法要の終了した同年七月二六日までの間における申立人の労務の提供に対し支払われた平均収入一日一、〇〇〇円の合計額である。

また申立人に対しては上記売買の手数料として、相続財産から金三〇万円が当裁判所の許可(当庁昭和三四年(家)第四八五五号相続財産に関する処分許可申立事件)を得て支出されている。

上記認定の事実と、申立人本人審問(第一、二回)関係人につき調査した結果により知り得た一切の実情によると、亡花子と申立人とは、明治四〇年頃から昭和三一年まで実に五〇年余の長きにわたり、この間時期によつて親疎の程度に差があつたにせよ、終始かわることなく師弟としてまたもと近隣の長幼としての交わりをつづけ、しかも申立人の幼少期においては、どちらかといえば、申立人が花子から恩顧と寵愛を受けること多かつたに比し、その壮年期以後においては、むしろ申立人が、身寄りなく孤独であつた花子を援助すること多く、殊にその晩年における大事-戦災病気唯一の財産の処分等-に際しては、いつも形影相伴うかのように、よき相談相手としてまた生活上の助言者として関与し、その孤独寂寥を慰め経済面でも相倚り相助け以て花子の生活の安定に寄与してきたものであつて、これを、花子死亡に際して、申立人が肉親以上に心のこもつた世話をつづけいわゆる死水を取つたことと考えあわせると、花子と申立人との関係は、まことに人生の奇縁であつたといわなければならない。なお申立人の花子に対する行動について、申立人に功利的な意図があつたと推測する者もないではない(もつともそれらの者も、花子の臥病以後の看病等については、申立人の尽力を高く評価し、相続財産の一部分与を相当としている)。確かに、花子に相当多額の遺産のあつたことが、申立人のみならずその他の関係者の花子に対する看護活動その他を容易かつ積極的ならしめたことは否定できないにしても、叙上の点や、申立人が花子のために尽力していた当時には未だ特別縁故者に対する相続財産分与の制度はなく、また申立人も、弁護士河島徳太郎に指示され本年五月一〇日本件申立をなすまでは、昨年七月一日に施行された民法の一部改正(昭和三七年法律第四〇号、同改正によつて特別縁故者への相続財産分与が認められた)について、全く聞知していなかつたことなどからみて、申立人の花子に対する配慮尽力は、ごく人間的な自然の隣人愛に基づくものとみるのが相当であつて、功利的な意図に基づくとの推測は全く理由がない。

このようにみると、申立人が民法第九五八条の三に定める特別縁故者に該当することは明らかである。そこですすんで申立人に分与すべき財産の程度について案ずるに、叙上の実情、殊に上記認定(六)に記載のとおり売買手数料として金三〇万円が正当に支払われていること、立替金等償還の経緯(殊に花子の死後一〇〇箇日間の申立人の労務の提供等に対して、当然に支払われるべきものとはいえ、金一〇万円がすでに支出されていること)の外、相続財産管理人が保管する相続財産の現況(富士銀行○○支店に普通預金として昭和三八年一二月四日現在二一二万一、七二四円、その他小口の預金若干の有価証券等。その明細は昭和三八年一二月六日付管理人の報告書に明らかである)を考慮すると、金四〇万円を分与するのが相当である。

よつて本件申立を相当と認め主文のとおり審判する。

(家事審判官 西尾太郎)

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